本4冊
「オオムラサキのムーくん」
タダサトシ作 こぐま社
たで喰う虫も好きずき…とは本当のことらしく、
オオムラサキは決まった木の葉っぱしか食べないらしい。
(くわしくは本を読んで)
そして、虫は脱皮を繰り返すというけれど、まさかまさか顔も!とは思わなかった
(これもくわしくは本を読んで)
こんなに虫に近づいて
虫のことを愛でるように描かれると
苦手な虫も好きになる、とは言わないけれど
なんとなく、顔見知りになるようなご近所さんのよしみ、みたいなものが
生まれる。
「妖怪の日本地図2」関東 千葉幹夫・粕谷亮美 著 石井勉 絵
(大月書店)
妙に心に残っている妖怪がいる
それは「飯くわぬ女房」
昼間はごはんを食べないが
夜中になるとざんざらと米を炊いて
髪の毛をかきわけて、おにぎりを握って頭にある口に放り込む
子供の頃その話を
ぞぞぞぞっとしながら聞いたものだった
それは関東の妖怪だったのか!
昔話はとくに「おち」はないけれど
なぜか妙に心に残ったりするものが多い。
そういう個性的な、でも分類不可な存在がたくさん。
「母さんがどんなに僕を嫌いでも」歌川たいじ著 エンターブレイン社
歌川さんは「ゲイです。ほぼ夫婦です」をほぼ毎日描かれている人気ブロガーさん。
ずいぶん前にスカイツリーと絡めて
ご自分の幼少期のことを描かれたブログがあった。
お母さんとの確執があったのだろうか
そういう含みがあったけれど
その後ブログではそれに触れなくて
とてもパーソナル過ぎて、描けないのかな、と思っていた。
そしたらある日、一冊の本となっていたのでした。
たしかにパーソナルで、濃く、辛いことが描かれているけれど
それと同じように、軽妙なユーモアと
ぶっとい幸せと、パーソナルな悩みを乗り越える皆に役立つ知恵、
みたいなものを私は受け取った。
「うちは精肉店」写真と文 本橋成一 農文協
代々家族で牛をそだて、それを屠畜し、
精肉して店におろすという仕事をされてきた家族を撮っている。
小学校の時の国語の教科書に
野菜が擬人化された物語があった。
「にんじんが食べられてかわいそう」という感想を持ったとき
先生は
「ほんとうにかわいそう、なのかしら?
食べられないにんじんの方が、かわいそうなのでは」
そう言った。
わかったようなわからないような。
何を食べるか、それはとても個人的なことだ。
ベジタリアンの人は、肉食を残酷だというし
肉食をしないと健康が保てないという人もいる。
宗教的に間違っているとか、
身の回りのものを食べることが、=過酷な環境に対応する力をつける、とか。
ふと思ったのだ
食べる、ということは残酷なのではないだろうか。
もともと。
残酷にもその命をもらって
(きっとフルーツだって野草だって水だって、命。)
その分感謝する、そういう相反する行為が
食べるということなのかもしれない。
4冊並べてみると
バラバラにみえて不思議と共通項があるように思う。
それは自分から遠いものや、異質なもの、相反する気持ちと行為
そういうものを全部全部好きにならなくても
心にその分のスペースを作る。
本を読んでそういうことをしているような気持ちになった。